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「阪神・淡路大震災の経験と教訓を活かしていくために」 阪神・淡路大震災30年記念シンポジウムを開催しました

1月25日(土)、神戸防災キャンパスにおいて、減災復興政策研究科の主催で「阪神・淡路大震災30年記念シンポジウム-よりよい復興をめざし震災の経験と教訓を再考する-」を開催しました。

2025年1月17日に阪神・淡路大震災発生から30年の節目を迎えました。その間にも、2011年の東日本大震災をはじめとした大地震による災害や豪雨災害など、いくつもの大きな自然災害が発生しました。本シンポジウムは、これらの自然災害において、阪神・淡路大震災からの復興の経験や教訓を生かすことができたのかについて振り返るとともに、これから来るべく自然災害への防災・減災、復興政策について、ともに考える場として開催されました。
当日は、兵庫県防災監をはじめ、本研究科と連携協定を締結している高等学校の関係者の方々、本学の教員、本研究科の修了生および在校生等の約90名が参加しました。

 

シンポジウムの様子

はじめに、髙坂誠学長による開会の挨拶がありました。髙坂学長は挨拶の冒頭で「われわれには、忘れられない日付と時間がある。兵庫県南部地震が発生した1995年1月17日午前5時46分という時間は、絶対に忘れることはない。それから、東日本大震災を引き起こすこととなった東北地方太平洋沖地震の発生日時である2011年3月11日14時46分という日時も忘れられない。そして、令和6年能登半島が発生した昨年の1月1日16時10分から1年が経った」と述べ、本学の元理事長で、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構の元理事長を務められるなど、生前、防災や被災地の復興に力を入れて取り組まれた故五百旗頭真先生についてや、本研究科を設立した経緯等について紹介しました。そして、「阪神・淡路大震災後、国内外から多くの支援をいただきながら、兵庫県は創造的復興に取り組んできた。その基本的な概念である『想定外のことに備える』ということを、われわれはこの30年の間にできたのか。われわれがリーダーとなって日本に、世界に、そのメッセージを伝えられたのかということを、そして、この先われわれは何をしていかないといけないのかをしっかりと考えていかないといけない」とし、「震災後、神戸では『ルミナリエ』が始まった。温かいきらめく光が、寒さに震える能登の被災地の方々の希望の光となることを心から願っている」と挨拶を結びました。
※神戸ルミナリエ…阪神・淡路大震災が発生した1995年12月から神戸市内で開催されている祭典。鎮魂と追悼、街の復興を祈念して始まった。

 

次に、本研究科設立時から連携して教育・研究活動を行っている本学地域ケア開発研究所の増野園惠教授が挨拶しました。増野教授は「阪神・淡路大震災から30年ということで、この間の教訓を学問的にも現場に活かすという意味において、どのようにできるのかということは、私たちに突き付けられている課題であると思っている。今後も減災復興政策研究科と一緒に、本当に人々が安心して安全に暮らせるまちづくりと、より良い復興を遂げていくにはどうしたら良いのかということを考えていけたら良いなと思っている」と述べました。

 

続いて、本研究科の前身『防災ユニット』時代から、本研究科の設立、また、東日本大震災をはじめとする日本全国の大学の学生ボランティア支援などに尽力された、本学の森永速男名誉教授から挨拶がありました。森永名誉教授は「兵庫県立大学は阪神・淡路大震災から15年ほど遅れて防災・減災の教育や研究をしようということになった。思い起こせば2010年、防災の研究科を2011年4月に開設しようと取り組んでいたが、ちょうど東日本大震災が発生した2011年3月11日は準備委員会の日で、テレビに写し出された現地の映像を観ながら、自分が今関わろうとしていることに対して身が引き締まる思いを感じた」と振り返られ、「本学はおそらく今後、重大な役割を担っていくことになるのではないかと思う。防災庁ができるかも知れないし、できたら、兵庫に設置されるかも知れない。そういうときにあって、この研究科に課せられた使命は大きいと思うので、これからも阪神・淡路大震災、東日本大震災、その他の災害のことをきっちりと国民のみなさんに伝えていける研究科として頑張っていただきたい」と話されました。

 

続いて、減災復興政策研究科長の永野康行教授が挨拶しました。挨拶の中で永野教授は、本研究科の沿革を紹介し、その後、2月10日付で発行することとなっている書籍・兵庫県立大学大学院減災復興政策研究科編『減災復興学 阪神・淡路大震災から30年を迎えて』(ミネルヴァ書房)の紹介をしました。永野教授は「この本は、本研究科の教員10名全員で減災復興学という学問に関する書籍を書き上げようということになり、約2年前から阪神・淡路大震災30年という節目に照準を合わせ、出版に向けて取り組んできた」と出版の経緯を説明しました。

また、本のタイトルにある減災復興学について言及し、「減災復興学とは『減災の総合化』という視点から減災と復興を一体的に捉え、安全で安心できる社会の持続的発展を目指すための学問体系をいい、初代研究科長の室﨑益輝名誉教授のお言葉を借りて『減災復興学』という名称にした。この学問に基づき、『政策の現場化』において、現場から現場への政策的コミュニケーションを大切にし、研究や教育の社会的還流を目指している。本研究科でこれらを科学的な視点から実践するということで、単なる机上の学問ではなく、現場を大切にし、現場に基づく実践の研究でありたい」と述べました。さらに、永野教授は自身の阪神・淡路大震災の被災体験を紹介し、その上で「私たちはこうした知見をまとめ、大学院の研究レベルに落とし込んで教育の場で実践するというミッションが課せられているのだと認識している」と述べ、本研究科における教育内容や、昨年度に第1巻を発行した『減災復興学研究』(研究科紀要、研究科サイトで公開)、また、昨年3月に設立した研究科の同窓会組織について紹介しました。

 

基調講演「我が国の防災体制の課題解決への提言」

基調講演では、元兵庫県副知事・兵庫県初代防災監で、現在は関西国際大学名誉教授、兵庫県立大学客員教授の齋藤富雄氏にご登壇いただき、「阪神・淡路大震災からの復興と教訓~我が国の防災体制の課題解決への提言~」と題して、阪神・淡路大震災を教訓に、現状と現在の課題、それらの課題解決に向けての方法などのお考えについてお話しいただきました。
齋藤氏は、阪神・淡路大震災の教訓として、「行政体制からの教訓」「財源の確保」「住民の意識」「ボランティア活動」「防災教育」「創造的復興」の6つを柱に講演を進められました。とりわけ、行政体制からの教訓として、震災当時の首長(幹部職員)や行政職員の初動の対応の遅れや、平時に地震対策の備えがなされていなかったことには、地震災害を『我がごと』として捉えていなかったことにあるとし、この30年の間に起きた災害時の自治体の対応を振り返ると、未だ自分事になっておらず、職員に徹底されていない自治体が多いと指摘されました。さらに、災害対策本部の設置・本部会議の開催をはじめ、災害対応関連の計画・マニュアルについては形骸化が進んでいるとし、齋藤氏は「形式上、『設置した』『つくった』ということに満足してしまっているのではないか。実際に対応が徹底されているのか、本当の意味で充実し、実行されているのかという大きな課題があると思っている」と指摘しました。

また、発災直後の避難所の開設状況や被災者への生活支援物資の備蓄と支給については、阪神・淡路大震災のときからほとんど変わっていないと強調し、特に避難所については、令和6年能登半島地震の際も30年前と同様、地域の学校の体育館に被災者が大勢押し寄せて密集し、プライバシーも十分に確保されていない状況だったとし、「30年経って、この状況で本当に良いのか。2024年4月の台湾東部地震の際には発災直後に見事な避難所が開設されていた。トルコも同様で、台湾とトルコは災害対応に非常に力を入れており、日本は防災先進国と言いながら遥かに遅れていると、実際に現地を見て実感した」と振り返られました。
他の自治体職員の支援・受援体制については、近い将来発生が予想される南海トラフ巨大地震の際には広域にわたって大きな被害を受けることが想定されていることから、「まずは地元の中で助け合える仕組みが充実しておかないといけない。大規模災害が広域になればなるほど他府県の支援対応が難しい」とし、加えて、政府による防災庁の創設に向けての動きもあることから、「防災庁ができるのを機に、広域的な仕組み全体を考えるべき」と話されました。

 

パネルディスカッション

パネルディスカッションでは、齋藤氏とともに減災復興政策研究科を構成する災害科学、減災コミュニケーション、減災復興ガバナンスの3つの領域からそれぞれ平井敬准教授、松川安寧准教授、澤田雅浩准教授がパネリストとして登壇し、紅谷昇平准教授がファシリテーターを務めました。

はじめに、平井准教授が「地震研究における30年の成果と教訓」と題して講演しました。平井准教授は、地震研究の立場から見たときの阪神・淡路大震災の教訓として、基礎研究の重要性が改めて認識されたこと、耐震化の重要性、アウトリーチの重要性の3点を挙げました。特に阪神・淡路大震災は、建物の倒壊による死者が特筆して多かったことから、耐震改修促進法の成立や、免震が普及し始める契機になったとし、「近畿地方は全国の中でも活断層が集中している地域であり、建築や土木に関わる方々に耐震化の重要性についてアピールしていかないといけないということを地震学者の1人として強く感じている」と話しました。

 

次に、松川准教授が「阪神・淡路大震災以降の災害時要配慮者対策の変遷」と題して講演しました。松川准教授は、阪神・淡路大震災当時、高齢者や障がい者の方は法律上では『災害弱者』と表記されていたのが、2004年の新潟・福島豪雨災害の際に『災害時要援護者』と新しく定義され、個別避難計画作成が推奨されるようになるなどし、さらに東日本大震災を契機に『避難行動要支援者』という言葉ができた一方で、個別避難計画の作成は推奨とどまりであるなど、現在も制度の後押しが進まず、先進的な地域だけが取り組んでいると説明し、「残念ながら日本は災害対策も福祉の法政策も遅れており、根本的なところを変えずに上辺の部分だけで積み上げて、その場をしのいでいる実情がある」と指摘しました。

 

続いて、澤田准教授が「復興まちづくりにおける30年の成果と教訓」と題して講演しました。澤田准教授は、阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けた神戸の復興過程について「神戸で『まちづくり』が上手くいったのには、30年前ではなく、50年前からの神戸の動きを見ておく必要がある。神戸は震災前から『まちづくり』を行っていた。1970年代に端を発する様々な取組があり、それが被害を受けた後に『都市計画+まちづくり』を実現できた一因になっている。先人たちが積み重ねてきた手前で、物事をダイナミックに動かすシステムの重要性を、政策的にも現地の活動的にも取り組んできた歩みがある」とし、1981年に神戸市で全国に先駆けて制定されたまちづくり条例の内容や、まちづくり協議会の取組、神戸市長田区真野地区や同市中央区港島地区の取組を紹介しました。

3名の教員による講演後、齋藤氏は「災害が起きたときの対応よりも、それぞれの研究テーマ・授業の内容も、平時が非常に重要だと考える。今後、防災庁ができても、緊急時の対応よりも人材育成やボランティアも含めて平時に仕組みづくりや体制づくりを行うことが重要であると思っている。ボランティア活動についても、阪神・淡路大震災後に兵庫県が組織をつくり、平時から活動している。災害が起きてから立ち上げても、大混乱の中で十分な活動はできない。災害時だけ支援する仕組みは上手くいかない」とコメントしました。
最後に、紅谷准教授がこれからの防災を担う次の世代に向けてコメントし、「昨年、広島県や吹田市で公務員の防災の枠で採用を行うなど、防災職は日本でも広がってきており、米国でも大学と資格とセットで防災の仕事を膨らませてきたということがある。本研究科でも新しい学生を積極的に受け入れ、学んでいただき、ともに成長していきたいと思っているので、ぜひ一緒に日本の防災を支えていっていただきたい」と述べました。

 

副専攻学生の発表

副専攻学生の発表では、学部の枠を越えて履修することのできる兵庫県立大学副専攻の1つである「防災リーダー教育プログラム」で防災を学んでいる学部生が発表を行いました。本副専攻も本研究科と同様に災害科学、減災コミュニケーション、減災復興ガバナンスの3つの領域があり、当日は減災復興ガバナンス領域と減災コミュニケーション領域のグループによる発表がありました。学生たちは、1年間の取組内容をはじめ、1年間の学びを踏まえての考察、学びを今後どう活かしていきたいかについて話しました。併せて、永野教授の研究室に所属し、副専攻ゼミナールを履修している環境人間学部3年生の河村咲季さんが災害科学領域の代表学生として「免震装置の有無が超高層建築の地震応答値に与える影響」と題して発表しました。
※副専攻ゼミナール…副専攻「防災リーダー教育プログラム」において2024年度から開講しているもので、地域防災参画型と減災復興政策研究科への視野に入れた少人数型ゼミがある。

 

最後に、坂下玲子副学長から閉会の挨拶がありました。坂下副学長は「減災復興学は、実証自然科学にはのらないので研究が非常に難しいところがある。しかし、すべての災害に個別性があり、再現性は基本的になく、共通性も非常に低い現象であり、そういった現象を科学と学問の力で対応していくというのが、今の新しい時代に求められていることなのではないかと思う。そのためには、パラダイムシフトも必要であり、減災復興学というのはまさにその先端を進む学問ではないかと期待している。この学問が進み、私たちの安全・安心が今後促進され、みなさんと一緒に手を携えて進んでいけたらと思っている」と挨拶し、シンポジウムを結びました。

 

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