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「ひょうごから広げる創造的復興と減災のメッセージ」減災復興学フォーラムを開催しました

9月20日(土)、神戸防災キャンパスにおいて、減災復興政策研究科の主催で「減災復興学フォーラム ひょうごから広げる創造的復興と減災のメッセージ:阪神・淡路大震災30年を越えて」を開催しました。

 

阪神・淡路大震災を経験した「当事者」として

本学は、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災を経験した当事者の1人として、その経験と教訓、20年以上に及ぶ復興の知見を生かし、危機管理対策や災害支援、防災教育等の種々の現場のリーダーとして減災社会や復興に貢献する専門人材を育成するため、2017年4月に減災復興政策研究科を開設しました。本研究科は開設以降、行政をはじめ、企業、学校、NPO、コミュニティ、ボランティアなどの多様な主体が、阪神・淡路大震災を含め、さまざまな災害を通じて蓄積してきた教訓や知見を学問的に体系化するとともに、減災と復興を表裏一体的なものと捉え、既存の学問を横断的に組み合わせて創造的な復興と減災に関わる教育・研究活動を展開し、数多くの成果を生み出してきました。

減災復興政策研究科は、阪神・淡路大震災からの復興のシンボルプロジェクトの1つとして整備されたHAT神戸(神戸東部新都心)内に位置する人と防災未来センター東館内にある(写真右)。

 

本フォーラムは、兵庫県内での防災の実践や防災教育の報告、パネルディスカッションを通して、「復興」と「減災」を両立させる重要性を再認識し、未来に向けた「減災復興」の概念を広く発信するとともに、震災から得た知見を次世代にどのようにつないでいくのか、そして、未来の社会をどのように作り上げるのかを参加者の方々とともに考える機会として開催されました。併せて、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の「テーマウィーク」に連動して、兵庫県が独自のテーマウィークとして展開した「ひょうごEXPO week 災害からの創造的復興(実施期間:9月15日(月)から9月21日(日))」のシンクロイベントの1つとして、また、本研究科の同窓会イベントとしても行われました。
※テーマウィーク(2025年大阪・関西万博)…世界中の国々が地球的規模の課題の解決に向け、対話によって「いのち輝く未来社会」を世界とともに創造することを目的として行う取組。万博の会場外において、テーマウィークの会場外関連プログラム「テーマウィークコネクト」として各種取組が行われ、大阪・関西エリアに限定せず、全国から参加可能となっていた。

司会・進行を務めた減災復興政策研究科 紅谷昇平准教授

 

フォーラムの様子

はじめに、減災復興政策研究科長の永野康行教授が開会の挨拶をしました。永野教授は「ひょうごEXPO weekの一環として開催される本フォーラムが、大阪・関西万博とも深く響き合う場となることを願っている。2025年の万博は、『いのちを輝かせる未来社会』をテーマに掲げている。その中で、災害から学び、しなやかに立ち上がる社会の姿を示すことこそ、私たち研究科が果たすべき役割だと考えている。とりわけ近年は、激甚化する自然災害や新型感染症、エネルギー危機など、社会の不確実性が増している。そうした中で、減災復興学は特定分野に閉じた学問ではなく、社会全体のレジリエンスを支える知恵と行動の総合科学である。本フォーラムでは、産官学民が立場を超えて集い、多様な議論を交わすことで、より安全で安心な未来像を描き出すことができると信じている。万博は、新しい技術や文化が人々の交流の中で花開く場である。本フォーラムもまた、知識と経験を持ち寄り、新たな協働が芽生える小さな『ミニ万博』のような場になればと願っている。そして、ここで得られた知見やネットワークを将来の減災復興学の実践につなげ、兵庫から大阪・関西、そして世界へと発信していきたい」と述べました。

 

兵庫県立大学における防災教育の歩み-報告1

報告1には、2011年に本学が防災教育センターを設立し、防災教育を開始した当初から本学の防災教育に携わっている減災復興政策研究科教授で本学学際リーダー教育センター・防災リーダー教育部門副部門長の浦川豪教授が登壇し、「防災ユニット・副専攻における防災教育」と題して、本学における学部生を対象とした防災教育のこれまでの経緯等について講演しました。
浦川教授は、現在、学部生を対象に開講している副専攻「防災リーダー教育プログラム」(旧防災教育ユニット)について言及し、市民救命士及び防災関連の資格である「防災士」の受験資格を得ることのできる「防災リーダー育成講座」をはじめ、学生たちが兵庫県立尼崎小田高等学校と連携して企画・運営し、年1回実施している地域防災活動「あまおだ減災フェス」の取組など、座学の講義のみでなく、フィールドワークや被災地現場のボランティア活動等を行うことにより、防災マインド(防災への優れた知識と行動する力)や現場力、コミュニケーショ力といった「人間力」を持つ人材を育成していることを紹介しました。

また、浦川教授は、2011年3月11日に発生した東日本大震災で甚大な被害を受けた福島県相馬市に、当時、同震災を契機に発足したばかりの「兵庫県立大学学生災害復興支援団体LAN」(以下、LAN)に所属する学生たちと訪れ、現地NPO法人「農馬土」の農産物直販施設併設の「農馬土カフェ」の建設や、農家にホームステイして農作業を手伝うといったボランティア活動を実施した際のことを取り上げました。学生たちがカフェの建設現場で建物に使用する板をバーナーで焼く作業をしている様子を写した写真を示し、「写真を見る分には何も感じないと思うが、板を30℃以上のバーナーで焼くというタフな作業だったこともあり、女子学生は泣きながら作業していた。われわれは、被災地で立ち上がろうとする被災者の方々を支援する取組を継続的に行ってきた。その中で、現場活動の意義を学生たちに伝えてきたが、私としては、レジリエンスというような回復力や柔軟性、柔らかくしなやかな強さ、何か起こったときにポキッと折れない柳の木のように頑張れる人になってほしいと願っている。そういう意味でも、現場体験は非常に重要なものと考え、現場の被災者の方に寄り添いながら防災教育を実施してきた経緯がある」と述べました。

 

減災復興政策研究科の設立から現在に至るまでの防災教育・研究・社会活動-報告2

報告2には永野教授が登壇し、「減災復興政策研究科における防災教育と研究」と題して、初代研究科長の室﨑益輝名誉教授に続く2代目の研究科長を2022年4月から務めている立場から、2017年4月の本研究科設立時から現在に至るまでの9年間の教育・研究・社会活動の取組について講演しました。
講演の中で永野教授は、研究科長就任時のことを振り返り、「本研究科が初めてつくった本の中には、この研究科でどういう事柄を研究対象として進めていくのかについて明確に書かれている。しかし、それがどういう学問なのかについては、固有名詞などで定義づけられてはいない。そこで私は、『ぜひそれらに学問と名付けてしまおう』と考えた。それが『減災復興学』である。当時、固有名詞はなかったが、研究科設立時から大切にしているものと理解していた。『減災復興学とはこういうものである』と明示し、みなさんとともにこの学問を大切にしながら追い求めているところである」と述べました。

向かって左の本『災害に立ち向かう人づくり 減災社会構築と被災地復興の礎』(2018年ミネルヴァ書房)、右の本『減災復興学 阪神・淡路大震災から30年を迎えて』(2025年ミネルヴァ書房)

 

さらに、2024年に設立された本研究科の同窓会組織について言及し、「本研究科は1学年博士前期課程12名・博士後期課程2名、総定員30名という小さな組織であるため、研究科設立時から同学年の横のつながりは密にあったが、修了生との縦のつながりは、私が着任した当初はなく、同窓会組織があれば良いなと思い、当時、学生生活委員長をされていた先生方にご足労いただいて修了生の方々にお声がけいただき、同志の方々が同窓会組織を設立してくださった。同窓会組織の設立については、神戸新聞が記事にしてくださり、『防災というものは縦のつながりも大切である』ということを世の中にも認識していただけ、また、私たち教員も、修了生・在学生も、縦のつながりが非常に堅固なものになったと感じている。織物が縦糸と横糸が重なることでより強固なものとなるように、ずっとつながっていくことが大切ではないかと思っている。設立にあたり、声掛けは教員からさせてもらったが、運営の主体は修了生・在学生が担っている」と述べました。

 

本学での学びを実践-報告3

報告3では、本学環境人間学部の卒業生で本研究科の修了生でもある、宝塚市都市安全部総合防災課の村尾佳苗氏から「大学・大学院での学びと実践活動」と題して、在学中の学びや活動、現在の仕事等についてお話しいただきました。
村尾氏は環境人間学部在学中、防災教育ユニットを履修するとともにLANにも所属して活動を行っていました。「私は元々、自分が防災の道に進むとは全く考えていなかった。本研究科への進学を決めた原点はどこにあるのかと考えたとき、LANでの活動にあると思っている」とし、「東日本大震災発生時は中学1年生で、その時はテレビで見ること以外何もできなかった。出身は神戸市長田区で、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた地域でもあり、防災教育を受けてはいたが、『実際に災害が起きたときに自分はどうしたら良いのか』については、『自分事』にできていなかった。県立大学入学後、いろいろな条件が運よく合い、LANの活動に参加することにした」と防災活動をはじめたきっかけについて語りました。
さらに、東日本大震災から5年後の2016年にLANの活動で初めて福島県南相馬市を訪れた際のことについて言及し、「テレビの報道で被害は知っているつもりだったが、それは本当に『知っているつもりになっていただけだった』という衝撃を受けて神戸に帰ってきたというのが、福島の第一印象である。『1回の災害でここまで人の暮らしが変わってしまう』ということにとても衝撃を受けた。単に数字や言葉だけで知るのではなく、実際に現場を見ることが大事だということを学ぶ機会になった」と振り返りました。

また、本研究科への進学を決めた理由については、「LANや防災教育ユニットでの活動を通じて『災害が起こることは避けられない』と分かった。『それならば、どうしたら災害が起きても誰も悲しまないようにできるのか』について、関心が向くようになった。地球が生きている限り、自然災害は起こる。でも、いろいろな方のお話を聞かせていただく中で、悲しい経験や苦しい話もたくさん聞いたからこそ、それらを繰り返さない方法を考えてみたいと思った」と説明し、本研究科で得た学びについて「自分の頭で考えるとはどういうことなのか」「さまざまな経験をしてきた多世代の人たちと交流することにより視野を広げること」の2点を挙げました。
最後に村尾氏は「『減災復興政策研究科を修了した』『防災をきちんと勉強してきた』という肩書きの方が私よりも大きく、実力も人間力も心の余裕もまだ足りないなというのが、4年間仕事をしてきた正直な感想である。肩書きに負けないよう、自分にできることを増やしながら、減災復興学の定義にもある『人のことを考え、優しくて温かい防災を実現』できるよう、また、その実現に向けて一助となれるようにこれからも頑張っていきたい」と今後の展望を述べました。

防災活動を通して親しくなった福島県の方から届いたリンゴ

 

高等学校における防災教育の取組-報告4

報告4では、兵庫県立長田高等学校の防災学習の担当であり、兵庫県教育委員会の震災・学校支援チーム(EARTH)のメンバーとしても活動されている同校の吉井謙太郎教諭から、「兵庫県立長田高等学校における探究活動と防災の取組」と題して、県立高等学校の防災教育の現状をはじめ、兵庫県立長田高等学校の現状、実際の取組等についてお話しいただきました。なお、本研究科と兵庫県立長田高等学校は、同校がスーパーサイエンスハイスクール(SSH)事業の一環で実施する日台防災探究プログラムに係る台湾研修に参加する生徒に永野教授や青田良介教授が指導するなどの交流があったことから、2024年3月に教育研究協定を締結し、以降さらなる交流を図っています。
吉井教諭は、現行の「高等学校学習指導要領」により取り組むこととなっている探究活動における「『何をどのように探究するか』という設定が難しい」という教員側の課題や、「防災教育のための時間確保が難しい」というカリキュラム上の課題があるとした上で、「授業時間内で、特に探究活動として防災教育の時間を確保できないか。また、それを地域とつながるきっかけにできないかとの問題意識が私の中にあり、探究活動に減災復興学の視点を取り入れて進めていくことができないかと考えた」と話されました。

同校の探究活動では、文理を問わないさまざまなジャンルを横断する知見を融合させることを目標の1つにしているとし、「文理を問わずにさまざまなジャンルの知見を融合させることは、本研究科の方向性、減災復興学という学問の方向性にも一致するものではないかと思っている。防災をテーマとした活動や減災復興学の視点を取り入れることは、文系理系を問わないさまざまなチャンネルにまたがるということなので、減災復興学の考え方を生かして本校の探究活動の特色をつくり、それが、校内の生徒の防災・減災に関する意識を高めることにつながり、学校の防災体制を改善することにもつながるのではないかと考えている」と説明されました。加えて、吉井教諭は同校での防災教育の実際の取組内容や、同校の生徒を対象に実施した「高校生の防災意識に関するアンケート」の結果と考察についても述べ、「こうしたアンケートを今年度以降もいろいろな形で実施していこうと思っており、学年別に比較したり、本校だけの話なのかということも含めて検討していきたいと考えている」と話されました。

 

防災教育の役割と、未来への減災復興のメッセージ-パネルディスカッション

パネルディスカッションでは、青田教授の司会のもと、永野教授、浦川教授、村尾氏、吉井教諭がパネリストとして登壇しました。本フォーラムがひょうごEXPO weekのシンクロイベントとしての開催でもあることから、2025年大阪・関西万博のテーマと8つのテーマ事業を掛け合わせて「防災教育の役割と、未来への減災復興のメッセージ」をテーマに、それぞれの立場から、今後、人々の命に関わる減災復興に関する取組をどのように展開していくのかについて討論しました。
※2025年大阪・関西万博では、「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現するために、「いのちを知る」「いのちを育む」「いのちを守る」「いのちをつむぐ」「いのちを拡げる」「いのちを高める」「いのちを磨く」「いのちを響き合わせる」の8つのテーマ事業を設け、パビリオンの展示やイベントを通じて表現・発信することとしていた。

討論の中で、浦川教授は「大きな災害が起こった後、私たちは『誰かのために何かをしてあげるために現場に行く』のだが、現場に行くと『自分たちは何もできない』ということに直面する。それは現場に行って初めて分かることで、帰ってきた後に『人のために何かをする前に、自分たちが何かできる人にならなければならない』ことに気づく。そこで継続的に自分たちを磨いていくことになるが、そのときに自分1人ではできないことにも気づく。そのため、仲間たちと高め合うというプロセスが教育現場で多く見られた。それが防災教育の一番大事なところではないかと現場で直感した」と話しました。
また、村尾氏は「何かをしようとして被災地に行ったが、無力感だけを学んで帰ってきたというのが、学生時代の気持ちである。『何であれば、1個できるか』ということの積み重ねの6年間で、その結果が今につながっていると感じることも多い。防災とは、『誰かだけがしたら良いという問題ではない』と思っており、『私にはこれができる』『あなたはこれができる』という具合に、各自の力を引き出していくためのサポートをするのが私の仕事ではないかと思っている。県立大での経験を生かして、行政職として地域の方々と一緒に伴走していけるような人間でありたいと思っている」と話しました。

永野教授は、減災復興学は基本的には過去の災害を未来に生かす『経験的な学問』と認識しているとし、「過去に学ぶことは非常に大切である。しかし、過去から学べないような事柄が立て続けに起こっている。各種気象問題や、来たる南海トラフ地震もそのようなレベルのものになるかも知れない。それらをどのように減災に結び付けていくのかという非常にチャレンジングな問題がある。これらは新しい学問領域として研究者が取り組まないといけない。そして、それらを単なる研究で終わらせず、研究者のみならず、学生の皆さんとともに、現場で役立つもの、血の通ったものにしていくことが大切であると思っている。『研究のための研究にしない』『過去の経験だけに囚われない』という発展的な視点を持ちながら取組を進めていきたい」と話しました。
吉井教諭は「今の高校生は、『どのような情報にも簡単にアクセスできる』『何か自分が考えていることを社会実装するにあたってすぐにいろいろできるのではないか』などと思われがちだが、実際には社会そのもののことを知らないケースや、自分が何に関心を持っているのか、自分はどういう思いを持って生きているのかを掘り下げられておらず、それらが外の社会とどのようにつながっているのかを把握できていない生徒が多い印象がある。防災減災を学ぶことで、生徒たちにそうした気づきも出てくるのではないかと思っている。ただ、私たちは進路探しのために探究活動をしているのではなく、純粋に自分たちが関心のあることの掘り下げをしているので、生徒たちには、次に災害が起こったときにどうこうということだけでなく、自分たちがどうあるべきかについて考えを深めて欲しいと思っている」と話しました。

最後に青田教授は、「防災減災を万博と関連づけるとすれば、一人ひとりが互いの多様性を認め、『いのち輝く未来社会をデザインする』ということで、狭い意味で、減災復興とは『守ること』かも知れないが、探究する中でいろいろなことを知り、自分を知り、仲間を知り、世界を知るという意味では、この減災復興を切り口に、命のいろいろなことに掛かっていけば良いのではないかと思う」と述べ、討論を締めくくりました。

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