記事検索

  • 学部・組織・所属

  • 記事のテーマ

「仕組みがなければ自ら創る-阪神・淡路大震災が投げかけた意義」減災復興政策研究科 青田良介教授の最終講義が行われました

2026年3月末をもって定年退職する減災復興政策研究科の青田良介教授の最終講義が2月18日(水)に神戸防災キャンパスで行われ、本研究科の院生・教員、卒業生、本学の学部生等が参加しました。

青田教授は、兵庫県職員として1995年に阪神・淡路大震災を経験しました。3年後の1998年にアジア防災センター(神戸市中央区)に出向し、アジア地域各国との防災協力を進める中で、1999年に台湾で発生した921大地震について調査したのを契機に、職務の傍ら、2001年4月に神戸大学大学院自然科学研究科博士後期課程に進学しました。防災研究の第一人者として知られる室﨑益輝先生の指導を受けて防災研究に取り組み、2004年3月に博士(学術)の学位を取得しました。その後、2015年に兵庫県を退職し、同年4月に本学防災教育研究センター准教授として着任し、大学院減災復興政策研究科の設置準備業務に携わりました。2017年4月から本研究科教授となり、学内で教育・研究活動を推進するとともに、学外においても浜松市天竜区緑恵台土砂崩落に係る行政対応検証委員会委員をはじめ、尼崎市総合計画審議会委員、福崎町消防団あり方検討委員会委員長等を歴任するなど活動してきました。
専門分野は、被災者支援政策、行政防災、国際防災協力等で、行政経験を踏まえ、自助・共助・公助の連携・協働、防災ガバナンスのあり方について探究してきました。

 

当日の様子

はじめに、本研究科の永野康行研究科長から挨拶がありました。永野研究科長は、「青田教授は本研究科創設期から現在に至るまで、本研究科における教育と研究を力強く牽引してこられた。地域の実情に根ざしたフィールドワーク、自治体や国の行政機関との実務的な連携、さらには多様な専門分野をつなぐ学際的な取組を通じて、実社会に開かれた減災復興学の構築に大きな貢献をされた。また、常に『被災者・被災地域の視点』を軸に据え、現場の声を丁寧にくみ取りながら、政策提言や制度設計に結びつけてこられた。その姿勢は、研究科が掲げる『実務と学問の架け橋』という理念を体現するものであり、多くの研究者・実務家とも共有されてきた。最大のご功績の1つは、人材育成であるといえるのではないか。これまで指導を受けた多くの大学院生・実務家学生が、自治体、IT関連企業、NPO、中国での大学教員など、さまざまな現場で減災・復興の担い手として活躍している。厳しさと温かさを併せ持つ指導を通じて、専門的知見のみならず、倫理観や現場に寄り添う姿勢を身につけた人材が数多く巣立っていったことは、本研究科の大きな誇りである」と青田教授のこれまでの尽力と貢献に敬意と感謝の意を表しました。

続いて、司会・進行を行った本研究科の馬場美智子教授が青田教授の経歴を紹介した後、青田教授が登壇し、「阪神・淡路大震災と災害復興ガバナンス」と題して、自身のこれまでの軌跡や阪神・淡路大震災からの創造的復興とガバナンス、東日本大震災以降のガバナンス、今後のことについて語りました。

 

人生観を変えたオーストラリアでの駐在経験

最終講義の冒頭で青田教授は「最終講義を行うことにあまりピンと来ていないところがある。本研究科設立の2年前の2015年に前身の防災教育研究センターに赴任という形で兵庫県立大学に入って丸11年になるが、元々教員ではなかったので、『転身後の第2ステージが終わるのかな』という感覚がある。それほど長い教育・研究生活ではなかったが、今日は『こういう人生だったのかな』と振り返りながらお話をさせていただきたいと思う」と述べ、兵庫県職員として勤務していた頃は、地方自治体では珍しく「国際畑」を歩んでいたことや、阪神・淡路大震災前に外務省やオーストラリア・西オーストラリア州パースに位置する在パース日本国総領事館で勤務した経験があること、防災の国際協力機関として設立されたアジア防災センターへの出向がキャリアを考え直す機会となり、神戸大学大学院博士後期課程に進学して本格的に防災研究を始めたこと、博士号取得後の研究テーマ、大学教員への転身の経緯など、自身のこれまでの軌跡について紹介しました。

その中で、外務省とオーストラリアでの経験は人生観を変えるものだったといい、特にオーストラリア・パースでの在外経験については、「オーストラリアの人たちの、自己主張をしながらも他者を尊重することや、『立場の弱い人ファースト』の概念や、仕事はしっかり取り組みつつも家族との時間も大切にする姿勢、『急ぐだけが人生ではない』というゆったりとした文化や習慣、そして、週末はワイン片手にバーベキューを楽しみながら、インド洋の夕日が沈むのを眺めるなど、ゆとりある日々の過ごし方、世界共通言語として英語教育に力を入れていることなど、オーストラリアで多様な価値観と多文化共生を学んだことは、今でも自分の根底にあると感じている」と話しました。

 

被災者を中心に据えた仕組みづくりを

神戸大学大学院博士後期課程では、当時の自身の仕事(日本の公助)とはあえて対峙する、海外のNGO・NPO(民)の災害活動等を研究テーマに選び、『ヒューマンパワーを取り入れた地域防災システムの構築に関する研究(インド、台湾、米国、日本における災害NGO研究)』を行いました。青田教授は「災害における復旧・復興支援等について、日本では『全部行政がするもの』という認識だったが、1994年の米国・ノースリッジ地震に関する研究を通じて、民間に任せた方がむしろ効率的だと感じた。併せて、被災者の方々等の小さなニーズと、さまざまな支援とをつなぎあわせる中間支援組織をつくるということが大変印象に残り、今の自身の研究の基になっている。さらに、博士号取得後に思ったことは、行政では『ルールのためのルールや仕組み』が多いと疑問を持っていたのが、海外の先進事例を研究して民のパワーを非常に感じたことで、ますますその気持ちが強くなった。国内の研究者と交流する中で、『被災者の方を中心に据えた仕組みをつくり、官と民が連携して、迅速で柔軟な方策をつくるということをしていこう』と思った」と語りました。
本研究科設立後に行った研究については、「特に被災地主導による災害復興について研究した。海外を見ても、国・地域・文化によって復興は異なっており、被災地・被災者に合った復興を考えないといけないと思った。そのときに、自分が研究する上で、自助・公助・共助というものを大変意識した。そして、地方自治体が自ら判断する体制『団体自治』と、住民がその地域を治めるという『住民自治』が必要で、この2つを上手く組み合わせるにはどうしたら良いのか、地方分権ということが研究の主眼になった」と青田教授は振り返りました。

また、青田教授は、阪神・淡路大震災の復興過程において、住宅、生活、福祉、産業、教育、文化等全般に渡って一歩踏み込んだ公的支援を行う「復興基金」や、被災者支援方策を提言する「被災者復興支援会議」をはじめ、さまざまな被災者支援に関する仕組みや方策を兵庫の官民が創設したことや、2011年の東日本大震災以降の復興方策の変遷、令和6年能登半島地震で見られた行政と被災者のスタンスの違いや広域支援体制の課題等について取り上げ、地方分権を基調としたローカルガバナンスの風向きが変わってきていると指摘し、「国による方策は、全国標準的・画一的になるものだと思っている。むしろ、地方が主体となって、多様なニーズに対する支援や地域性、災害特性を反映した復興、担い手の多様化など、自治体だけでなく、住民自治の発想で対処すべきではないか。そして、その一つの鍵として中間支援組織が大事と考えている」などと述べました。
最後に、自身の今後について言及し、改めて阪神・淡路大震災の意義について体系化するなど、今後も研究を続けながら、社会貢献活動に勤しんだり、かつてのオーストラリア生活を思い出し、人生を充実させたいと述べ、最終講義を締めくくりました。

 

講義後には、本研究科の教員・学生から青田教授への花束や記念品が贈呈され、感謝の意が表されました。

関連リンク

減災復興政策研究科

2024年4月に青田教授がラジオ関西番組に出演し、2024年1月に発生した令和6年能登半島地震の災害対応等について取り上げた際の記事を、下記のリンク先からご覧になれます。
ケンダイツウシン「『能登半島地震の災害対応』減災復興政策研究科 青田 良介教授」

 

COPYRIGHT © UNIVERSITY OF HYOGO. ALL RIGHTS RESERVED.