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「創造的復興を未来に繋ぐ新たなチャレンジに向けて」 震災30年事業キックオフシンポジウムに本学教員が登壇

6月14日(金)に神戸メリケンパークオリエンタルホテル(神戸市中央区)で開催された、ひょうご安全の日推進県民会議主催「震災30年事業キックオフシンポジウム」において、本学の減災復興政策研究科の阪本真由美教授と環境人間学部の木村玲欧教授が登壇しました。

 

震災30年事業キックオフシンポジウム概要

来年の2025年1月17日に、阪神・淡路大震災発生から30年の節目を迎えます。30年が経過すると、世代交代などの影響により、記憶が薄れ、風化が進むとされています。そこで、兵庫県や神戸市などの自治体をはじめ、県民、民間団体、事業者、関係行政機関で構成される「ひょうご安全の日推進県民会議」は、震災の経験と教訓、また、阪神・淡路大震災に際して兵庫県が提唱し、また、昨年3月まで本学の理事長を務められ、今年3月にご逝去された五百旗頭真先生も東日本大震災及び熊本地震において積極的に発信された「創造的復興」の理念を広く国内外に継承・共有していくため、今年の11月から来年10月にかけて、これまでの震災関連事業のコンセプトである「忘れない」「伝える」「備える」に「繋ぐ」を加えて、阪神・淡路大震災30年事業を展開することとしています。事業の開始に先立ち、先般キックオフシンポジウムが開催されました。
※創造的復興…単に災害発生前の状態に戻すのではなく、災害前よりもより良い社会づくりを行うという考え方。2015年には、宮城県仙台市で開催された第3回国連防災世界会議で採択された仙台防災枠組で「ビルド・バック・ベター(Build Back Better Than Before)」として世界的な共通目標となった。

 

シンポジウム開会前に、五百旗頭先生のプロフィールやご功績を紹介する映像が上映されました。また、会場のロビーではパネル展示がありました。五百旗頭先生は、ご自身も阪神・淡路大震災で被災した経験から、防災や復興に積極的に関わり、東日本大震災復興構想会議議長や熊本復旧・復興有識者会議座長を務められるなど、有識者の立場から被災地の復興に尽力されました。

 

シンポジウムでは、はじめにひょうご安全の日推進県民会議会長の齋藤元彦兵庫県知事から挨拶がありました。

 

基調講演

続いて行われた基調講演では、阪本教授と木村教授が講演を行いました。

 

まず、阪本教授が「大規模災害に備える-震災30年を踏まえて-」と題して講演しました。阪本教授は、講演の冒頭で「阪神・淡路大震災から30年を迎えるにあたって、当時から現在にかけて大きく変わったことは何かと振り返ったときに1つ挙げられるのが『災害時の支援体制の在り方』ではないかと思う」と述べました。今年1月1日に発生した令和6年能登半島地震においても、地震発生の翌日には関西広域連合として兵庫県職員が先遣隊として派遣されていたことや、被災地に向かう道路が被災地支援を行うために全国から集まってきた自治体や消防、警察、DMATなどの車両で埋め尽くされていたことなどを挙げ、「災害発生時における自治体間の連携や、様々な団体等によるボランティア活動は、阪神・淡路大震災を契機に制度化され、次の災害対応に活かすための取組が行われてきた」と紹介しました。一方で、「最近起こった災害を見ていると、自治体間の連携は強くなり、災害支援の文化というものはつくられているように思うが、まだまだ足りないと思う。今回の能登半島を見ていても、発災から半年が経ってもまだ支援が行き届いていない部分がある」とし、「災害支援を全国の文化となっていくだけの仕組みにまだ至っていないと思う」と指摘しました。

また、阪神・淡路大震災の際に「いつもお風呂に水を溜めていて捨てないようにしていたので、断水したけれど助かった」など、「いつもしていることが役に立った」という事例が多くあったことを取り上げ、「『もしも』に備えようとしても、人間は『しない』ところがある。『もしも』に備えるだけでなく、『いつもしていること』が『もしも』に活きてくるような『フェーズフリー』の仕組みづくりがこれからは必要だと思う」と述べ、現在、近い将来起こるとされている南海トラフ巨大地震に備えて、こども食堂を拠点とした「食のネットワーク」づくりが行われていることや、明石市においては、今年度から災害時に地域でお困りの方をサポートする避難サポーター養成研修「明石市ひなんサポーター研修」が始められていることを紹介しました。
最後に阪本教授は、「普段から助け合える仕組みをつくっておくと、『もしも』のときに活きてくると思う。そのため、『もしも』のために備えるだけでなく、『いつも』の暮らしを良くして、それを『もしも』につなげていく。阪神・淡路大震災で新しくつくられた災害支援の文化を、これから先の私たちの『いつもの生活の中の支援の文化』として変えていくことが、今後の防災には大事ではないかと思う」と話しました。

 

次に登壇した木村教授は、「教訓を次世代に繋ぐ防災教育のこれから」と題して講演しました。木村教授は、2024年現在、神戸市民の半分以上が阪神・淡路大震災を実際に経験していないことを取り上げ、「『阪神・淡路大震災を知らない』という人たちに対して、どのように防災を伝えていくかについては非常に大きな問題である」と指摘しました。また、ALSOK(綜合警備保障)が行った、防災に関する訓練や教育、学習経験などの「防災教育」の経験の有無を問う調査では、全体の約3割が「経験がない」と回答したことを紹介しました。このことについて木村教授は「どうしても防災の学習というのは、国語や数学などの一般的な教科学習と比べると時間数も短く、『一過性のイベント』のようなもので終わってしまう面がある。また、なかなか記憶に残りづらいところも、『繋ぐ』という部分での問題点の1つかと思う」と指摘し、「阪神・淡路大震災から30年が経ち、様々な面で状況が変わっている。地震の活動期のなかで毎年のように大きな被害をもたらす地震や、地球温暖化によって異常気象が各地で発生するなど、もはや災害は『めったに起きないもの』ではなくなり、『頻繁に発生し、そのたびに命を脅かすもの』となった」と述べました。

続けて木村教授は、「自然が変わってしまった今、個人・組織・社会も変わらなければならない。私たちの側が、災害に対する防災について考え直さないといけない」とし、「『あれは熊本の地震だから』『あれは東北の津波だから』と考えるのではなく、私たちの地域にもハザードマップや大きな災害が起きた際の被害想定があるので、そういうものを基に、地域の安全・安心の中に『災害』というものを1つの大きな柱に位置付けて考えていくようにしなければいけない。『繋ぐ』ということを考えたときに、いかに『わがごと』と思ってもらうかが重要である」と、自分たちに直接関係がないことでも自分たちのことのように意識する「わがごと意識」を持つことの大切さを訴えました。
最後に木村教授は、南海トラフ巨大地震では私たち1人ひとりの立ち居振る舞いや備えが大切であることから、阪神・淡路大震災の教訓も含めて、地域の新しい住民の方にも防災についてしっかり理解してもらい、安全・安心な地域にしていくために防災教育が必要であるとし、「地域においても、住民1人ひとりに対して、また、地域の防災活動の中核的人物に対して働きかけをするという二段階で『わがごと意識』を上げる取組が行われている。防災は、特定の意識の高い人たちだけでは乗り切ることができない。地域全体の底上げを考えた際に、防災教育活動を通して災害を理解し、乗り越えていくための力『防災リテラシー』を上げていく必要がある。私たちには、次の世代に『繋ぐ』ために、様々な新しい教訓も踏まえ、防災について理解してもらえる情報を提供しながら底上げを図り、安心・安全な社会を一層強化しながらつくっていく取組が求められている」と話し、講演を締めくくりました。

 

トークセッション

「創造的復興を未来に繋ぐ新たなチャレンジに向けて」をテーマに行われたトークセッションでは、齋藤知事、久元喜造神戸市長、川崎博也兵庫県商工会議所連合会会頭(神戸商工会議所会頭)、木村教授がパネリストとして登壇し、阪本教授がモデレーターを務め、「30年を迎えての思い」「今後取り組むべき防災・減災対策」「何をどう繋いでいくか」について、産官学それぞれの立場から取組や意見等が出されました。

 

なお、シンポジウムでは、基調講演とトークセッションのほか、阪神・淡路大震災の発生直後に生まれた主人公を通して震災後30年の神戸と人々の心の復興を描く「映画・港に灯がともる」(2025年公開予定)の紹介や、ひょうご安全の日推進県民会議事務局から震災30年事業の広報展開について紹介がありました。

 

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