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「能登半島地震の災害対応」 減災復興政策研究科 青田 良介教授

本学ではラジオ関西との共同企画で、毎月1回本学の教員がラジオ関西番組に出演して、先進的・特徴的な活動をパーソナリティと対談形式で紹介しています。

 

4月21日(日)放送の「谷五郎の笑って暮らそう こちら兵庫県立大です」に登場するのは、減災復興政策研究科の青田 良介(あおた りょうすけ)教授です。

 

今回のテーマは、「能登半島地震の災害対応」
青田教授の専門は、「被災者支援政策、防災行政、国際防災協力」です。

 

公務員から防災の研究者へ

青田教授は、元兵庫県職員です。兵庫県職員だった1995年に阪神・淡路大震災を経験し、1998年に兵庫県神戸市に設立されたアジア防災センターへ出向。さらに、1999年に台湾で発生した921大地震の調査を半年かけて行いました。この台湾での調査が、青田教授が防災の研究を始めるきっかけになったといいます。「調査をする中で、日本とは異なる政策の仕方や活動、特にボランティアの活動がすごいと感じました。そこで日本と台湾との違いを見つけ、『これはもっと勉強したいな。できれば、それらを日本の防災に活かしたいな』と思い、研究を始めることにしました」と語ります。青田教授は本格的に防災の研究をするため仕事をしながら大学院に進学し、以後、仕事と研究の二足の草鞋を続け、2015年に兵庫県を退職して本学の教員となり、現在に至ります。

 

走りながら考える台湾、熟慮断行型の日本

今年の1月1日、新年早々に石川県能登地方を震源とするマグニチュード7.6の大きな地震が発生し、甚大な被害をもたらしました。現地では今もなお、避難生活をされている方々がいらっしゃいますが、地震発生後、日本と台湾の災害への対応の違いがマスコミ等で取り上げられました。阪神・淡路大震災発生から4年後の1999年に台湾で921大地震の調査を行った青田教授は、「日本はじっくり考えて進める熟慮断行型で、台湾はどちらかと言うと走りながら考える。そのため、対応がすごく速いです。この4月3日に起きた台湾花蓮地震でも、地震発生から2、3時間後には避難所にきちんとテントが入っていた。元々台湾は、日本やアメリカの防災の先進例を学んでいます。ボランティアについてはアメリカからの影響が強いと思います。ですので、即座に活動を開始できる団体がいくつもあり、それらの団体が直ちに動いてすぐに避難所を開設することができる。行政は行政で、トンネルや橋などの壊れた箇所の修理や、倒れかけの建物を1 日で解体するなど、すぐにインフラの整備に取り掛かっています。そういうスピード感が台湾の持ち味です」と台湾の対応を評価しています。

 

災害経験があるかないか

また、日本の行政の対応について青田教授は、「万が一ボランティアの方にけがをさせたらどうしようとか、想定していなかったような混乱が起こったらどうしようと考えるなど、行政の習性としては『管理をしよう』という気持ちが強くなる傾向があります。ところが、ボランティアは本来、自発性に基づいて自己責任で行うものです。責任は自分で持っていただくことになりますが、ボランティア活動を取り入れることによって異なる発想や文化が湧いてくるので、これをいかに活用するかが大事かなと思います」と元公務員として行政の考え方に理解を示しつつ、現在の日本におけるボランティア活動のあり方について指摘しました。

今回の令和6年能登半島地震では、ボランティアの数の不足が大きな問題になっており、応急対応やその後の復旧・復興の遅れの一因になっています。地震発生から間もない頃に石川県等がアクセスの悪さからボランティア支援の自粛を呼びかけたことも、現在のボランティア不足につながっているといわれています。青田教授は、「最初は道路が寸断されて、金沢市内から能登半島の先まで行くのに2時間のところが8時間かかる状況だったので、自粛をお願いするのは分からなくはない。ところが、現在は状況が変わって2時間あるいは2時間半で行けるようになり、ボランティアに入っていただける状況になっている」と説明します。支援経験のあるプロ的なボランティア団体は現地入りしているといい、「神戸のボランティア団体も現地に入っており、独自に学生等を受け入れて活動しています。支援に長けた人に習って『自分もできることをやります』という動きが広がりを持ちますし、今後の復旧・復興を考えると不可欠かなと思います。行政のやり方だけの一方通行ではなく、民間の発想も入れた複数のやり方が必要です。今は個性化・多様化の時代です。1つのやり方でしないというのが今の時代の傾向なので、行政のやり方もあれば、民間の支援の在り方もあると思います」と話します。

能登半島地震発生後、青田教授と減災復興政策研究科の院生もボランティア活動を実施

能登の方々とともに

 

さらに青田教授は、「防災の世界では災害経験の有無が大きい。兵庫県や神戸市にこういう話をすると『それはそうだ』と入っていきます。しかし、災害経験がないと『これ以上混乱したらどうしよう』いう方向に考える。被災者も同じです。家は壊れなくても、中は家具が壊れたりしてぐちゃぐちゃになり、寝床もないような状態になっています。それらをボランティアが片付けて整理する。それで『こんなことまでしてくれるとは思わなかった。もっと早く来てもらったら良かった』と分かるわけです。今からでも遅くないので、復興の次の再生も見据えて、ボランティアをどんどん受け入れた方が良いと思います」と強調します。

阪神・淡路大震災時のボランティアの活動の様子

 

復興・再生の先を見据えて-良いところを見つけて伸ばす

日本全体で人口減少社会に陥る中、能登半島では従来から人口減少による過疎化が進んでいました。青田教授は、「能登の、特に奥能登といわれるところはこの5年間で人口が約10%減り、65歳以上の人口が約50%です。悪い方を見るとそうなのですが、能登の良い点は何かと言うと、『里山里海』と言われるように自然が豊かなところです。『能登はやさしや土までも』と言われるくらいに人情味もすごくあります。加点法の発想で良いところを見つけて、それを伸ばすにはどうしたら良いかを考えたら良いと思います。能登に来てくれる人や能登との関係性のある人をいかに増やしていくか。そのためには、地域の魅力は何なのか。魚が美味しい、米が美味しい、景色が素晴らしい。そういったところを考える。それなら、能登でぜひ生活したいという人もいると思います。移住する人だけでなく、例えば地場産業で輪島塗や地酒、あるいは農業で頑張っている若い方もいらっしゃいます。こういう人たちをどうやって盛り上げるか。さらに、自然に囲まれてゆったりした中で仕事をし、生活も充実させたいという人もいます。教育も、のびのびとしたところでできる教育とは何なのかなど、まだまだ開拓の余地はあると思います。今までの『人口をどうやって増やしたら良いのか』という定住人口の発想は、言い方は悪いですが東京と競争するようなものです。そうではなく、もっと来てくれる人を増やすにはどうしたら良いかという発想に変えるべきだと思います」と言葉に力を込めます。
近い将来、南海トラフ地震の発生も予想されています。「南海トラフ地震が発生すると、紀伊半島でいうと和歌山県全体が今の能登と同じような状況になるかも知れません。だからこそ、今ここで発想を変え、能登で起こった問題は『われわれには関係ない』と考えるのではなく、『能登の活性化を考えることは、われわれの今後の活性化を考えることだ』という視点で、能登の方々だけでなく、みんなで知恵を絞り出して欲しいです」と青田教授は呼びかけました。

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減災復興政策研究科

 

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