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「災害・危機と企業の事業継続」 減災復興政策研究科 紅谷 昇平 准教授

本学ではラジオ関西との共同企画で、教員が取り組む先進的・特徴的な活動を広くPRするために、毎月1回本学の教員が、ラジオ関西番組「水曜ききもん」にてパーソナリティと対談形式で紹介しています。

 

7月6日(水曜日)放送の「水曜ききもん こちら兵庫県立大学です!」に登場するのは、減災復興政策研究科の紅谷 昇平(べにや しょうへい)准教授です。

 

今回のテーマは、「災害・危機と企業の事業継続」

紅谷准教授の専門は、「都市防災、災害マネジメント」です。

 

「まちづくり」から「防災」へ

紅谷准教授は、社会や人々の暮らしの安心・安全を守るために、災害マネジメント、復興まちづくり、地域マネジメント等の分野について、研究、教育、社会活動を行っています。

現代社会では、企業や地域産業が、地域経済や社会機能の重要な担い手となっていますが、大きな災害が発生すると、これらの企業や地域産業も一緒に被災することになり、地域経済や地域の人々の暮らしや雇用に大きなダメージを与えます。企業や地域産業が、災害や感染症パンデミックをはじめとした危機を乗り越えて、重要な事業を継続し、存続していくための方策や手法等について、研究を進めています。

 

1995年の阪神・淡路大震災が発生した当時、紅谷准教授は、京都でまちづくりや都市計画の勉強をしていました。震災発生時、「これは大きな揺れだな」と思った程度でしたが、妹さんが震度7のエリアだった宝塚で被災されました。電話がつながらず、妹さんの身の上を案じられ、折り畳み自転車で京都から宝塚まで向かおうとされた矢先、電話がつながって無事であることが分かり、安堵されたそうです。その後、被災地の尼崎の建物被害に関する調査や、神戸大学が行っていた火災や避難所の調査を手伝い始めたことが、防災に関わるきっかけとなりました。

阪神・淡路大震災で避難所となった小学校グラウンドのテント

 

震災後の神戸の街から見えてきた地域産業の姿

阪神・淡路大震災から27年が経ち、現在の神戸は、震災の記憶が残らないほどの立派な街並みが戻りつつあります。しかし、神戸の街は、震災によって街並みだけでなく、地域の経済・産業にも大きな打撃を受けました。例えば、神戸の有名な産業として、ケミカルシューズ産業や日本酒産業がありますが、いずれも震災前の状況までは復興していないと紅谷准教授は話します。

 

元々、まちづくりや都市計画が専門だった紅谷准教授が、なぜ、地域産業や企業のことに関わるようになったかというと、「街に建物をつくるところまでは『まちづくり』の仕事であるけれども、建物をつくっても、そこで活動してくれる企業や人がいないのは、建物や街をつくる側からすると非常に残念なこと。建物をつくることが目的ではなく、にぎわいをつくることや、豊かな生活をしてもらうことが、本当の目的なので、街で活動する人や企業が何を考え、どう行動しているのかを把握しないといけないと考え、震災後から研究を始めた」といいます。研究を始めてみると、例えば製造業では、工場が製品をどれくらいつくったかを示す「製造品出荷額」という統計の指標が、震災直後の被災地では、かなりの落ち込みがみられ、10年経っても元に戻らず、逆に時間が経つにつれて、被災地以外とのギャップが大きくなっていたそうです。

このグラフを見たとき、災害が起こった後に「企業や産業をどうやって復興させていくのか」を考えても手遅れだと気づき、「災害が起こる前に、企業や産業が事前にどのような対策をしたら良いのか」ということに研究テーマを移していかれたそうです。

1994年を100とした場合の阪神・淡路大震災後10年間の製造品出荷額の推移

(工業統計を元に紅谷准教授が作成)

 

事業継続計画を策定して災害や危機に備える

阪神・淡路大震災当時、企業や産業が、災害や危機が発生する前に「危機発生時にどのように事業を継続させ、復旧・復興していくのか」について、体系的に対策やプロセスを考えておく発想はありませんでしたが、現在では、大きな企業や自治体を中心に、事業継続計画(BCP)を策定して、災害や危機に備えるという考え方が広がってきています。

大きなきっかけは、2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件でした。被災したアメリカの金融機関が被害を受けていない他の拠点に移動したことで、比較的スムーズに業務を再開することができました。そこから、災害や危機発生時における企業の事業継続の大切さが注目され、2005年頃から事業継続に関する考え方が日本に輸入されるようになりました。

もう一つのきっかけは、2011年の東日本大震災でした。東日本大震災では、津波で市街地全体が大きな被害を受けました。「復旧工事や復興に取り組む人が来ようにも、泊まる場所も、食事ができる場所もない。被災者も、医療や福祉のケアを受けられる場所がない。人が住むには、住宅だけでなく、福祉施設や病院、スーパーやガソリンスタンドも必要。このような地域社会のさまざまな機能を支えているのは、企業や民間の事業者である。これらの機能が地域になければ、地域は成立しない。企業を復旧・復興させないと、働く場所もないので、人口流出にもつながってしまう」という認識が広がったことから、国や自治体も、企業の事業継続や早期復興が重要だと考えるようになりました。東日本大震災後は、仮設店舗や仮設工場の提供や事業再開のための補助金、税金の優遇など、企業に対する支援制度が充実してきたそうです。

宮城県南三陸町の仮設診療所

 

中小企業向けには事業継続力強化計画

ただ、中小企業に関しては、何十年に1回起こるかどうかの災害よりも、目先のリスクや経営の課題の方が直近の問題であることから、事業継続計画の策定に取り組むには、ハードルが高いといいます。そこで、紅谷准教授は、「まずできるところから取り組みましょうというのが一つの方法としてある。『被災するとこうなる』というイメージや、社長が『災害のときはこうしよう』と考えておくだけでも、危機発生直後の対応は、上手く進む。お金がかからない対策もいろいろある」と提案しました。

国の方も動き出し、2019年には、中小企業庁が事業継続計画を簡易にした「事業継続力強化計画」というものをつくりましょうという制度をつくりました。策定した計画について、経済産業大臣から認定を受けた中小企業は、税制措置や金融支援などの支援策を受けることができます。また、国土交通省近畿地方整備局も、災害時建設業事業継続力認定制度を設け、認定を受けた建設会社等は、総合評価落札方式の入札時に加点対象になるなど、計画の策定に向けてモチベーションを上げることのできる優遇を設けることで、中小企業間における事業継続計画の策定の推進に取り組もうとしています。

 

助け合って、強くなる

紅谷准教授は、今後の研究の展望として、企業同士の連携に関することを研究していくことを挙げ、「自治体と企業の大きな違いとして、自治体は、困ったときに他の自治体が助けてくれるが、企業の場合は、そういった横の連携がなかなかできていない。離れた地域の企業が支援に来るとか、取引先どうしや地域の企業どうしで支援するなど、企業同士の助け合いの仕組みを上手く構築していくことで、日本の企業は、今よりも災害に強くなるのではないかと考える。そういうふうな研究や提案をしていきたい」とし、個人経営の商店なども「商店街の組合や同業種の組合等がイニシアティブをとることで、組合同士の連携を進められる可能性はあるし、過去の災害でも組合同士が助け合ったという事例はあるので、そういう動きが兵庫県から進んでいくと良いなと思っている」と話していました。

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