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環境人間学部 竹端寛准教授が2冊に込めたそれぞれの想いにせまる 

― 環境人間学部 井関 崇博 准教授との対談インタビュー ―

 

2021年3月出版 「脱『いい子』のソーシャルワーク 反抑圧的な実践と理論」(現代書館)

2021年4月出版 「『困難事例』を解きほぐす 多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント」(現代書館)

相次いで2冊の本を執筆した、本学の環境人間学部 竹端寛准教授。

2冊の違いや、それぞれの本に込められた想いについて、環境人間学部 井関崇博准教授との対談の様子をご紹介します。

 

趣味の封印

井関 : 向いの研究室なので普段からお話させてもらっていますが、このような対談は初めてですね。いきなり難しい話も何なので、軽い話から。趣味は?

 

竹端 : 以前は、登山に合気道、ジョギング、料理など、多くの趣味を持っていましたが、5年前に子どもが生まれて以降、ガラっと自分の考えや価値観が変わり、そこから合気道や登山などの趣味を封印しています。

 

井関 : ほう。なぜ趣味を封印しようと思ったのですか。

 

竹端 : 友人の女性研究者が、「男性って育児しているって言うけど『ちょっとフットサルに行く』とか、女性はそんなことすらできないというリアリティーをわかっていないよね」と言っているのを耳にしたんです。家事労働における構造的格差が埋め込まれていることをこれまでは本で知っていましたが、自分が子育てをするようになって痛切に感じるようになったんです。

イクメンという言葉は男性にとってポジティブなプラス評価、それに対し女性はあれができていない、これができていない、のマイナス評価なんです。まずその評価基準がおかしい。イクメンという言葉が無批判に評価されているのが私は嫌いなんです。

 

井関 : 男性は加点評価なのに女性は減点評価なんですね。

 

竹端 : そうなんです。趣味ができるかどうかについても政治的な営みなんだと感じるようになりました。

 

福祉社会学ってなに?

井関 : では、本題。竹端先生の専門は福祉社会学ですが、社会学といってもピンとこないかもしれません。かといって福祉というキーワードだといろいろな意味が入ってきますよね。先生の分野はなんですか?と聞かれた時にどんな表現がいいですか?

 

竹端 : 「福祉と社会の関係を問い直す」という言い方をしています。「弱い人、可哀想な人を助けるのが福祉」というのは、本当にそうなのかと問うのが私の仕事です。

 

井関 : ということは、出発点として、福祉と言われている領域があるけど、在り方、考え方からの部分から問い直していくというような?

 

竹端 : そうなんです。弱い人、可哀想な人、しんどい人を助けるのが福祉と一般的に思われているけど、それは本当にそうなのか、じゃあ自分たちは弱くない、しんどくない、大変ではないとされている人は関係ないのかと言えばそんなことないのではないか、と問い直すのが私の仕事です。

 

井関 : それを福祉社会学と言っていいですか?

 

竹端 : そうですね、「福祉って、こういうもんだ」という思い込みを、社会学的な考え方のレンズを通して捉え直すという意味で、福祉社会学だと私は思っています。

 

2冊の本の共通点と違いについて

竹端 : 本のタイトルに入っている「いい子」と「困難事例」。これらはともに社会からラベルを貼られています。社会の同調圧力だとか、空気を読む「いい子」であったり、空気を読めない同調圧力に従えない人を「困難事例」と言っていますが、本当にそれで良いのか、そうしてしまうことによって見えない部分が生じ、本質に迫れない部分が出てくるのでは、といったことが2冊に共通していることです。

 

井関 : 逆に、2冊の違いは何ですか?

 

竹端 : 「『困難事例』を解きほぐす 多職種・多機関の連携に向けた全方位型アセスメント」は、より現場の実践につながる本なんです。福祉現場の支援者や行政の職員等が、対応が困難だと思っているような事例、例えばそれがゴミ屋敷の話であったり、8050(はちまるごーまる)問題といって、親が80歳で認知症、子供が50才で引きこもりであったりと、大変な事例の背景に本人・家族の生きづらさとか、当事者たちのしんどさと世間のまなざしにズレがあり、それを解きほぐしていくものの見立てをしましょうというのがアセスメントです。そういうことを具体的に現場の福祉支援者等にも伝えようとする本です。そういう意味では、現場の人に対する、こういう見方でいったらうまくいく、といった指南書みたいなものです。

 

井関 : もう一冊の方は?

 

竹端 : 「脱『いい子』のソーシャルワーク 反抑圧的な実践と理論」は、少し抽象的な内容も扱います。例えば福祉の現場では仕方ないと言われることが色々とあります。例えばもっと支援したいけどこれぐらいのサービスしかないから仕方ない、この人は障害という範囲に当てはまらないから支援ができなくて仕方ない等、現場でできることに限りがあった時に「仕方ない」とされることについて、それは仕方ない、で済ましてはだめだということ。どうせ仕方ないと置き去りにされている現状に対して、それは世の中が変わらないとだめだ、など、福祉の支援者も、声を上げていいんだということを世の中に伝えようとしている本です。

 

井関 : 本の中で「ALLY(アライ:仲間、という意味)」というキーワードが印象に残っていますが、これはどういうことでしょうか。

 

竹端 : 色々な社会問題があって、それが解決されないまま放置されていたり、仕方ないとされる現状があります。それに対してもやもやとしたり、おかしいと思った時に蓋をせずに、おかしいとその仲間同士で話し合ったり、おかしいと思ったら声を広げていくことが大切です。例えばそれが生活保護を受けている人、障がい者、LGBTQで差別を受けている人だけでなく、その人の近くにいて、その人のしんどさや生きづらさを知って、仲間としてその人のしんどさを理解する人のことをALLY(アライ)と英語で呼んでいるんですね。仲間。共感に基づく仲間を持ちながら差別だとか偏見だとか社会的な抑圧におかしいものはおかしいと声を上げていくのが「ALLYSHIP」と言われている。これはカナダで言われていて、日本でもどうやったらできるのかということをともに考えていこうとした本です。

 

井関 : なるほど。本の位置づけとしては、前者の方が具体的に現場に焦点を当てているということですね。後者はどちらかというと「変えるべきものは社会」ということでしょうか。

 

竹端 : そうですね。当事者や現場を変える、というより、社会の眼差しや社会構造を変えていくことを対象としており、その時の向き合い方にALLYSHIPというスタンスがあるということですね。

 

社会の中にある抑圧

井関 : 私たちの社会には「抑圧」があるということですが、この抑圧、どういう意味でしょうか。

 

竹端 : 高校生の皆さんにお伝えしたいのは、「批判的にものを考える」ことの重要性です。福祉だけではなく、皆さんの通う学校という「現場」でも様々な抑圧が本当は働いているんです。その最大の象徴が学校の校則です。学校の校則は法律ではないから、遵守しなければいけない義務ではないはずなのに、教員が学校内を統制するために子供たちに課しているルールなんです。そこに、地毛証明書とかスカートの長さといった色々なルールがある。それが抑圧なんです。

このような抑圧は、この社会の隅々に根付いています。例えば生活保護を受けていたら最低限の生活をしなくてはいけない、だからパチンコにいくなんてもっての他、お酒を飲んだらだめ、とか。昔はクーラーをつけたら贅沢だ、という批判もありました。生活保護というのは生きる上での最低限の権利のはずなのに、生活保護をもらうことはある種、罰といった形で校則と同じように否定的なまなざしが向けられてしまう。それが社会の抑圧なんです。でも例えば、校則って本当に必要なのか、同じように生活保護をもらっているのは罰なのか、と問い直すのが批判的思考であり、空気を読んで世の中に従わねばならない、といった社会の同調圧力を「ほんまかいな?」と問い直す必要があります。

 

井関 : 同調圧力から自由になるのは、難しいのではありませんか?

 

竹端 : 空気のように私たちを支配しているものに対して、「それは違うし、そんな世の中は嫌だ!」と声を上げてもいいんです。そういう「空気」を徹底的に意識化して、批判的に問い直して、そうじゃない可能性を模索するというのがこの本に込めた中身かもしれません。

 

井関 : その校則とか、受験、生活保護をめぐる規則、こうあるべきみたいな規範は一体、誰が作っているのでしょうか?

 

竹端 : 一人の政治家や一人の官僚が作るものではないんですね。ではなくて、少し難しいですが、権力構造というものは社会的に作られていくものであって、権力を持っている人も、その中で従わざるを得ない部分があるわけです。様々なネットワークの中で形作られていくものが権力だと僕は理解していて、ネットワークでの結び目の中で権力が作られ、それによって「これはしてはいけない」「あれはだめだ」「これに従いなさい」というものが作られていく。ということは、逆に言えばそのネットワークをひっくり返すことができれば権力作用を変えることができるのではないか、と私は思っています。

 

精神障害とは一体どういうことなのか

井関 : 次に、その本の中で、竹端先生が書かれた精神障害の章について、お伺いします。

 

竹端 : 私は精神病や精神障害というものを研究しはじめて、もう四半世紀くらいになるのですが、最初は怖いものだと思い込んでいたんですね。でも実際に大学院の頃から精神病院でフィールドワークをするようになって、様々な精神障害を持つ当事者の方々と出会い、その方々とお話をする中で、精神障害を持つというのは「生きる苦悩が最大化した姿だ」ということを教わったんです。

 

井関:病気ではないのですか?

 

竹端 : 病気であり、生きる苦悩でもあります。人は誰しも失恋の苦しみ、家族関係の苦しみ、あるいは失業だとか苦しみを持たない人はいないと思うんですけど、その苦しみが複合的に重なって、にっちもさっちもいかなくなった時に精神症状、例えば眠れなくなるとか、気持ちが強く落ち込むだとか、「お前は馬鹿だ」という声が自分の中で聞こえてくるというような状態に陥るわけなんです。それは極めて人間的な事象であり、私にも誰にもそういうことが重なったら起こりうることなんです。

 

井関 : 確かに。

 

竹端 : 本来なら自分にも関係がありそうなこと、なのですが、「自分も狂う可能性がある」と受け入れるのはしんどいですよね。だから、「自分とは関係ない他人事だ」と割り切って、医療の問題だと思い込もうとします。でも実際には「生きる苦悩が最大化した状態」なんだから、その生きる苦悩をともにどうやって減らしていくかということを考えない限り、本当の意味での「治療」や「回復」には至らないはずなんです。

 

井関 : ということは、精神病院に入院すれば治る、という訳ではないのですか?

竹端 : 残念ながら精神病院は、そういった方々を社会から隔離して収容し続ける「住まい」として機能してきました。閉じ込めの論理というのは、この社会の閉塞感を作り上げる論理と共通しています。それは「生きる苦悩」と向き合わない、という論理です。そうではなくて、ちゃんと相手の話を聞こう、ちゃんと人の苦悩に向き合おうよ、と。福祉とは辞書を引くと「幸福」と書かれているのですが、「生きる苦悩」に向き合い、それを減らすサポートこそが福祉ではないかと思うようになりました。そこで、精神病や精神障害などについているレッテルを剥がすといったことをこの章では書きました。

 

苦悩にどのように向き合えばよいのか

井関 : 苦悩に向き合う具体的な方法というのは今開発中ですか?それとも実践されていますか?

 

竹端 : 「オープンダイアローグ」というアプローチもその一つです。フィンランドで生まれた方法で、ご本人や家族の苦悩にじっくり耳を傾けることから、問題を解きほぐしていくやり方です。急性期の状態だと、本人やご家族からSOSの電話があれば、24時間以内に専門家チームが自宅を訪問するか、病院に来てもらって、本人の話したいことをしっかり周囲の人が聞き続ける、というやり方です。あるいは、事態がこじれて展望が見えにくい場合、関係者が集まって「どんな良い未来になっているか?」「どんなことが起こったら、その変化が生じたのか?」を話し合うなかで、こじれた関係性をほぐしていく、というやり方もあります。

どちらの場合も、生きる苦悩が最大化した「本人」が話したいことを話すのが重要です。誰かを批判したり糾弾したり説教したりするために話すのではなく、本人の困り事をどうやったらみんなで解決していくことができるのか、をともに考え合います。そこに一定のトレーニングや訓練が必要なんですが、そのトレーニングや訓練を受けた福祉職や医療職の方々が本人のしんどさをどうやったら解決できるのかを話し合う方法がオープンダイアローグと言われています。今、日本でも急速に広まりつつあって、実は私自身の授業の仕方にも大きな影響を与えているんです。

 

授業のあり方も変わってきた?

井関 : え、授業の方法にですか。どう影響しているのでしょうか。私も知りたいです。

 

竹端 : ガラっと変わりました。以前の私は普通に教科書やプリント内容に関する解説をしていました。でも今は、学生に事前課題を読んできてもらって、それに基づいて学生たちが議論し、議論したことについて何人かに話してもらい、その内容に基づいて授業をするという方法に変えたんです。つまり、事前課題としてある程度方向性は示してあるので、ぼくが一方的に解説をせず、「いま・ここ」で学生たちが議論した内容を発表してもらい、私も一緒に考え合うモードに授業を変えました。

 

井関 : なるほど、その授業の場から何かが生まれてきている感じがしますね。そういうライブ感は大切ですね。

 

竹端 : 事前課題の内容について、私自身も学生とともに議論しながら考え合う。すると、意外な発見や視点が学生たちから生み出されてきて、「なるほど、そういう見方もあるんだ、そういう風に伝わるんだ」などと学ばせてもらっています。

 

井関 : まさに先生と学生の間にある構造的な抑圧関係を変えているんですね。

 

竹端 : そうです。抑圧構造を授業の場で問い直すためには、従来の「詰め込み型教育」を手放すことができるのか? 問われているのは学生ではなく「教員」側なんですよね。

 

私たちは社会を変えていけるのか

井関 : ところで、福祉における既存の考え方を変える、具体的にはオープンダイアローグという手法があるということですけれども、それは大変難しいことではないか、私たちみんなができることなのか、といった疑問も出てくるかと思うんですが、それについて竹端先生はどう考えていますか。

 

竹端 : これはよく言っているんですけど、世の中には「取るべき責任」と「取れるはずのない責任」があると思っています。今、日本の医療福祉が閉塞感に手一杯なのは「取るべき責任」が取れずに、「取れるはずのない責任」を持たされているんですね。例えば医者は非常に大変な仕事と言われるけど、本来医者がやっている仕事の中には、看護師やソーシャルワーカー等ができる・向いている仕事があるにも関わらず、法律によって「医師の指示の下」という制約をつけていることにより、その人たちの力を充分に活かしきれてない。そういう意味で、「取るべき責任」を取らずに「取れるはずのない責任」を取ろうとしているわけです。

 

井関 : 具体的にはどう変えたらよいのですか?

 

竹端 : オープンダイアローグの考え方の非常に良いところは、「誰しもが何らかの力を持っている」という前提に基づいて、皆が一緒に考え合うチームになるんですね。医者が持っている専門性、看護師等が持っている専門性、本人を支えている家族しか持っていない専門性、あるいは患者とされる本人に具わっている解決能力があって、それぞれの持つ人の力を最大限に使うことができたら今よりも良い解決策が絶対に浮かぶはずなんです。

 

井関 : 理想的なお話ですが、そんなに簡単にいかないのでは?

 

竹端 : そう、「立場主義」が足を引っ張っています。医者という立場、ソーシャルワーカーという立場、ヘルパ―という立場、家族という立場、患者という立場に縛られて、それぞれ一人一人が持つ潜在能力が最大化されていないわけなんです。それを「立場の壁」を越えてお互いが持つ力を最大化して使おうとするのがオープンダイアローグ。慣れてきたら絶対にこちらの方が良いと感じるようになると思います。

 

福祉の未来、社会の未来

井関 : なるほど、お話を伺っていると、先生のような新しい発想が取り入れられていけば、福祉のあり方も大きく変わっていくように思いますが、福祉の現場は昔に比べて良くなっていると言えますか?それとも悪化していますか?

 

竹端 : 両面ありますね。つまり、この社会はどんどん経済効率を優先する方向になっていき、格差が増えつつあるというのは嘘ではないし、実際にあることですよね。そういう意味で言ったら失業者が増え、大学生も就職してうまくいくのかどうかわからない、終身雇用がなくなるかもしれないみたいな不安は大きくなっています。

 

井関 : では良い側面は?

 

竹端 : 今、社会が大きく流動していますよね。以前は「仕方ない」「そんなことを言っても無理だ」と諦めていた事態でも、様々に風穴が空き始めているんですね。例えば、2000年頃までは日本では貧困は「ないもの」にされていました。グローバル化が進み、終身雇用が崩れる中で、この20年は格差社会が目に見える形になりました。その一方で、「反貧困運動」というのが非常に強まった。あるいは入管問題が話題になった時には、「これはおかしい」と声を上げる大学生も出てきています。SNSで若者達が声を挙げることも日常的になってきています。そういう意味で言えば、「社会問題に何を言っても無力だ」と思っていた時代が我々の学生時代にはあったんだけれども、この20年くらいの間に社会が流動的になり、SNSなどで一般人も発信できるようになった結果、社会が変わりうる素地も非常に大きくなってきています。

 

井関 : その部分は確かにありますよね。

 

竹端 : だからこそ高校生に伝えたいのは、「社会問題を学ぶのはとても面白いことで、大学に入って社会問題を自分の問題として感じ、考えた上で言語化し、発信することによって、自分も社会に関わるアクターとして動くことは十分に可能」ということです。

 

井関 : 確かに、私たちより若い世代でソーシャルビジネスといった形で社会課題の解決にチャレンジする人が非常に増えてきましたよね。若い人だけでなく、私たち以上の世代も、世代という「立場」にとらわれず、自分にできることをしていけば世界は変わっていきそうです。本日はありがとうございました。

 

 

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