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理学研究科 津田基之名誉教授が「瑞宝中綬章」を受章しました

令和4年秋の叙勲において、理学研究科生命科学専攻の津田基之名誉教授が、「瑞宝中綬章」を受章しました。

「瑞宝中綬章」は、長年にわたり公務等に従事し、成績を挙げた方に授与される勲章です。

津田名誉教授は、生体情報学の教育・研究に尽力し、視覚・脳神経の情報伝達機能の解明に著しい成果を上げ、当該分野の発展に多大なる貢献をした功績が認められ、このたびの受章となりました。

津田名誉教授は東京都出身で、早稲田大学理工学部応用物理学科に進学、早稲田大学大学院理工学研究科博士課程を修了して博士となり、北海道大学理学部や札幌医科大学医学部などで、眼が光を感じるときに作用するタンパク質の働きに関する研究に携わりました。39歳のときに渡米し、イリノイ大学客員准教授となり、世界で最も権威のある科学誌の1つであるイギリスの週刊科学ジャーナル「nature」で論文を発表しました。1990年に本学の前身である姫路工業大学理学部教授に就任し、2004年からは本学大学院生命理学研究科教授に就任、2007年3月末に定年退職するまで本学の教育・研究に努め、2007年に名誉教授となり、今日に至っています。

 

このたびの受章を受けて、津田名誉教授からコメントをいただきました。

 

瑞宝中綬章の受章を受けて

このたび、瑞宝中綬章を授与され光栄に存じます。これもひとえに、以下の皆様方の支えがあったことによるものと感謝しております。

私は、小学校3年生のとき、湯川秀樹氏が日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞されたことに感動して、科学者になる夢を持つようになりました。幸い、大学では希望していた物理学を専攻することができました。その後、興味が化学、生命科学に移り、30代になって医学部の教養部に属することになりました。ここでは制度上、大学院生などの共同研究者を得ることができませんでしたので、まさに孤軍奮闘しておりました。妻は、大学時代に生命科学系の研究室に属していました。そこで、研究員として私の研究に参加してくれました。その後の数年間が最も研究業績が上がった時期でした。

ちょうどその頃、兵庫県立大学理学部(当時の姫路工業大学)が新設され、25講座に1,000人以上の応募がありました。幸いにも、私は教授としての研究ポジションを得ることができました。それから、優れた助教授、助手に恵まれ、大学院生も育ち、研究費も潤沢に獲得でき、大いに研究業績を上げることができました。研究室の卒業生には、他大学で教員として活躍している卒業生もおり、その中の一人は、この4月から大阪大学基礎工学部の教授として活躍しています。イリノイ大学に客員准教授として滞在していたときには、多くの海外の共同研究者、国内の共同研究者のおかげでnature誌など、一流の国際科学誌に百数十報の論文を掲載することができ、その多くは、今も多くの研究者に引用されているようです。

 

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